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全ては最前最適の中にいる

※この記事は、備忘録的に書いときたい内容なのでさらっと読んでもらうといいかもしれません。

 

今日は朝からずっと、 全ては最適最善の中にいる(ある) ということに意識で触れ続けていました。 (たまに忘れてしまうのよね、このこと)

全ての中にはもちろん、自分も含まれています。”わたし”は常に最適最善の中にいます。 しかし、最善最適の中から思考は抜け出しています。 思考は最適最善の中にいることはできず、常にその外側にいます。

 

 

最適最善の中に入ってしまうと、思考は消滅してしまうから。 もし、思考さんという人物がいたとしたら、それを嫌がりますよね。自分の存在が消されてしまうわけなので。

だから、普段人はぼーっとしていると、最適最善の外にいるような錯覚を抱くよう、なっています。

※ボーッとする≠リラックスする

 

 

最近、潜在意識メイキングの講義などをしている最中によく、 「”わたし”でいる状態は、とても暇です」 ということがあります。

超絶、暇です。しかし、それと同時に超絶充満しています。 何も思考が発生しません。

 

 

しかし、常に気づきが発生し続けます。 だから、暇なんですが、暇じゃない。

 

 

頭で考えると矛盾してますが、感覚で覚えるとまさに”気づきでいっぱい”です。

それを恐れる人がいます。思考が暇になることを恐れるということは、そのさきに空虚感や虚無感、無価値観などがあるに違いないと、勘違いしている(させられている)のですが、 思考がなくなったときに残るのは、そのような感覚ではありません。

 

 

暇になったらどうしよう、と思っている人、安心してください。 超充実します。笑 (内面が)

 

過去からの未来予測や過去からの現実解釈の中では ”イマココ”にある膨大な情報は気づきとして入ってきにくくなります。 なぜなら、過去からの未来予測の間中 私たちの細胞は微細に緊張を続け、筋肉はどこかの箇所が硬直し(インナー部分だと感じにくい)、全身に対する感覚が麻痺しているから。 身体も心も、閉じるんですね。気づきが流れ込んできません。

 

まるで、全エネルギーが思考にかき集められるかのように。とたんに、イマココにある受信体としての自分を放棄してしまうのです。

 

 

また、いくつかの講義の中でしょっちゅう、口うるさく言っていることがあります。 わたし、という存在は思考ではありませんわたし、という存在は感情ではありません

悲しい時。 悲しいと感じているのは、わたしではありません。わたしの中にある情報(人格)が、悲しいと感じているのです。

 

その情報(人格)は何かを気にしています。何かを恐れたり、嫌がったりしています。その情報が出来事などを解釈し、反応し、悲しんでいるわけです。

 

わたしというのは、その感じるための”場”を提供しているようなものですね。 だって、その情報(人格)は、わたしではないのだから。

 

わたしの家にある洋服やアクセサリーと同じで、わたしがみにつけることはあるけれど。 嬉しい時もまた、同じです。わたしの中にある情報が、嬉しいと感じているのです。

だから、正確に言えばわたしが嬉しいのではなく、 「わたしの中にある、セルフイメージ(人格)の一人が嬉しがっている」 のです。

 

わたしと、わたしの中にある情報は、完全に同じではない。だから、正確に言えば、わたしという存在は喜びも悲しみもしないのです。

 

 

そんなことを言うと、『え!嫌だ!』とか言われたり、『え、わたしは悲しいと感じてますけど?』と言われたりするのだけど・・・ 自分の中に悲しみが発生しているのであり、そこには”悲しんでいる者”はいないのだ、ということ。

だからよくこう、言うのです。

 

 

悲しんでもいいけれど、 悲しんでいる人にはならないこと。

怒りの感情は感じていいし、出していいけれど 怒っている人にはならないこと。

悲しい人間はいない。でも、悲しい、が発生しているという状況、状態がただそこにあるだけなのだ、と。

 

 

それを受け入れた時、あるいはそれに心開きじっと観察してみたときに、 ”わたし”という存在は、確かにどの時も表面的な感情を抱くことがないというのが、わかります。 しかしそれは何も、わたしという存在の本質がつまらなくて、何もなくて、空虚で、無反応・無関心ということではないのです。

 

荒々しさのない静かな大海原を見て ”つまんねーな”って、思いませんでしょう? ”わたし”の本質も、大海原と同じようなものです。

 

 

 

”わたし”という存在は、何も感じず、何も考えていませんが 常に満ちています。 常に満ちていて、ウエルカムな状態なんです。

 

あくまでもわたしの表現ですが・・・ 喜びとか愛とか感謝とか光とかいろんな言い方がある中で、秦由佳的感覚は Welcome(ウェルカム)状態 で、気になったので調べてみました、この語源。

[古英語wilcuma (willa喜び+cuma来訪者=喜びをもたらす来訪者). welはWELL1の影響による]

 

喜びをもたらす来訪者!

 

これがウェルカムの語源だそうで、妙に納得してしまったのです。

 

わたしたちの存在、それはウェルカム。 (わたしたちの存在、それは喜びをもたらす来訪者)

 

 

 

ええ、怪しく聞こえる人には関係のない話でしょうが。 思考というものは、発生しているのでありただの情報です。 それは、 Just happen(ただ起こるだけ) でしかない。

それを顕在意識が選択する。フォーカスする思考を選ぶ。 しかし、ほとんどの人は顕在意識を使いこなさないため 「習慣化された選択」のまま、思考を選択してしまう。

 

 

めんどくさいなあ、とかあの人嫌いだな、嫌だな、とかなんでいつもこうなの?とかうるさいな、ムカつくな、とかイライラする、なんでわたしばっかり、とかどうせこうじゃない、とかいつもこうだしな、とか 習慣化された選択をそのままにしておけば選ぶ思考もそのままなので

いつも同じことばかり考えていることになったり頭の中がどんどん固定化されて行きますよね。

 

 

そうこうしているうちに人は、 自分は変わっていないだの自分はなかなか変わることができないだの自分には何か変われない問題や原因があるのではないかだの、 思うようになります。

や、違うから!そんなこと全くない。

 

 

だから、自分の中で発生する情報を、選択するレッスンを行ってみてください。 自分の中で発生する情報は思考だったり感情だったり感覚だったりします。

 

 

何度も言いますが、それらはただ発生しているだけ。ただの波です。 そのままにしておけば、無くなります。また別の波が立つだけです。

どの情報を選択するのかは、自分でその都度決められるのです。 また、どのような情報が発生するのか(顕在化するのか)も、自分で決められるのです。

 

 

気づきが発生し続けている状態は、それだけで満たされます。 何かを得る必要もなく、何かをつかむ必要もなくただ在るというだけで、必要なものが必要なときに必要なだけ流れ込んでくる。

それは止まることはありませんので、次の瞬間また別のものが流れてくる。 ずーっと、ずーっとです。 だから、何かを獲得しようとする意識に気づいたらわたしはとても敏感になります。

 

 

得ようとするのはわたしではなく、一体誰なのだ、と。 わたしの中にある架空の人格が何を理由に、何を獲得しようとしているのか、と。 敵対ではなく、それに対してもウェルカムです。

 

 

 

そのあと、架空の人格が欲しがっていたものはプロセスを経ることなく、流れ込んでくるのです。 そしたら、わたしは得ることや獲得を行う必要は無くなります。

残るのは表現のみ。 存在+そこに流れてくる気づき=表現 それのみが、残るのでした。

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