「しょうがいぶつ」

feeling
L1000284

とある日曜日。
ある駅の改札口を地下からあがった時に、すばらしくいい光に出会った。

晴天の恵みであるお日様の存在が、
改札口を出た左にあるカフェの影とコラボして、

とてもくっきり、はっきりとした雰囲気を生み出していた。


わたしのまわりにいる写真家たちはよく、
「いい光だ」とか「いい風だ」という。

それは、ただ天気がいいだとか
ただ晴れている、とか、
ただ風がふいているとかを感じて言う「いい」ではなく、

あくまでもそこに何かしらの対象物があり、
光や風が、それらを照らしなびかせるのを想像するから

「いい」と言うのだろう。
光というものは照らす範囲が広ければ広いほど、
もちろん拡散するけれど、そのかわり、ピカッと目を奪うことは、しない。

風になびく長い髪や、そこから垣間見える
その人の表情がなければ、風はただの風だ。

 

ものごとを美しくみせるにはコントラスト、というものが必要なのだと思う。
影がない光は、たばぼうっとそこを照らすのみだけど、
よく晴れた日に、窓辺から差し込む光は

屋根も何もないところでお日様をながめるより、ずっと、いい。

 

コントラストを大事にする、ということは
障害物をたいせつにする、と同じことなのかもしれない。

日々、普通に生きていれば様々な障害物とともに
前に進まざるを得ない誰もが、

すこしだけ、それらを邪魔とみなすことなく、
そこから差し込む光や、その障害物というものによって生まれる
総合的な美、みたいなのに気付けるといいよね。

そう思って過ごしているからか、
障害物を探すことが、とても上手になった気がする。

問題をさがすことが上手なのではなく、
それらをどう配置し、スポットライトをどこから当てて、
どんな光をみつけるのか。

それはあくまでも、自分次第、でもあり
楽しいわたしの変な趣味なのかもしれない。

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