Message Board

昔のブログ記事をご紹介したり、日々のことを投稿したりします。
本格的なレポート記事はジャーナルをお楽しみください。

journal一覧を見る
無料メルマガのご登録はこちらから

思考にまつわる洞察。考えることと観ることと。

最近ずっと、思考ってどうして存在するのだろう、と考えていました。

 

 

思考っていうのがひとりの人間だとして、思考さんがわたしの会社にいたとして(笑)

 

どんなポジションに配属させたら、この人は本領発揮するのかな、って。

 

思考さんがやさぐれてしまうのは、思考さんのやるべきことをやらせていないからなのかな、とか。

 

そういうことを考えてたら、突然いろいろと出てきたのでまとめてみました。

 

 

まず、

 

思考は、”観る”専門じゃなくて、

 

思考は、”観えた”ことを

 

他の”観えた”こととつなぎ合わせていく

 

 

それが役割だし

 

本領発揮どころではないか、と結論づけました。

 

 

わたしが何かを考えるとき、

 

本当は考えているというよりは・・・

 

”フィットする表現が見つかるまで探している”

 

感じにちかいんですね。

 

 

すでに表現したいことは、ある。

 

感覚であるし、感覚でつかんでいる。

 

 

つまり、”観えて”いる。

 

 

だけど、それをシェアしたり

 

他者と分かち合うための言葉や形が

 

めっちゃ気持ちよく「これだ!」と思えるレベルまで至らないと

 

ずっとフィットする表現を探している感じです。

 

 

このとき、一般的な言葉で言えば考え得ている、になりますが

 

本当は考えているのではなく

 

 

花を生けるような感じで、

 

それをデザインしている感じかもしれません。

 

 

このとき、わたしの思考力は本領発揮をします。

 

 

しかし、

 

”観えて”もいないことをあれこれ考えることは

 

大変苦痛ですし、ストレスです。

 

 

迷いや戸惑い、不安やら焦りやらが伴います。

 

 

観えていないことを見ようとするのは、思考の役割ではないのです。

 

 

例えば、

 

イメージができていないのに、どうしたらいいだろうと考えたり

 

ヴィジョンがない状態なのに、どうすればうまくいくか、と考えることは

 

 

観えていない

 

のに

 

見ようとする(思考が)

 

 

そんな感じなのです。

 

 

もし、花を生けることに例えるとしたらば

 

花そのものは情報量です。

 

情報量が少なすぎれば、イメージできませんし、

 

情報量が多すぎても、混乱してしまいます。

 

 

花の量や種類が多ければ

 

自分のつくりたい作品が生まれるわけではない、ということなのです。

 

だから、そこは微調整しています。

 

情報量が足りないと思えば、インプットします。

 

表現を探すように、本を読んだりします。

 

逆に情報量が少なければ、アウトプットします。

 

どこに出すでも、誰に見せるでもなく、ただただ書き出していきます。

 

そのため、わたしのメモの消費量と、スマホのメモはすごいことになっています。笑

 

 

さらに、

 

”生けながら”

 

完成に近づけていく

 

ということもポイントです。

 

 

観えたものを

 

完璧に観えたところまで待っていると

 

いつまでも手を動かせませんが、

 

 

ここ!というタイミングで手を動かし始め

 

完璧に観えていなくとも

 

その動きのおかげで

 

さらなるイメージが展開されていくことがあります。

 

 

文章を書いていると、そんなようなことが良くあります。

 

 

ちょっと”観えた”だけで手を動かしてみても

 

1行くらいですぐに手がストップしてしまうこともあれば、

 

だいぶ”観えた”ところまで待っていると

 

気付いた時にはもう、そのことはどうでも良くなっていて

 

1行たりとも手が動かなかったり、するものです。

 

 

ちなみにこの文章は、頭からここまで

 

いっときも止まらずに、

 

流れるままに打ち込み、

 

自然と言葉が生まれています。

 

 

このように作品が生まれることは実は稀なことで、たくさんアウトプットしているからといって

 

いつもこうなわけでは、ないんですね。

 

 

 

”観る”ということは

 

非常に言語化しにくいものです。

 

しかし、

 

誰もがいつも”観る”ことのできる状態になります。

 

 

ただ、それに気付いているかどうかだし

 

その力を使うかどうか、だと思うんですね。

 

 

わたしは最近、この”観る”というのに集中するというのは、巷で言われている

 

『ゆだねること』

 

と同じだと感じています。

 

 

ゆだねること。

 

 

聞こえは確かにいいのだけど(笑)

 

その実態はどうやら

 

ものすごく集中力やエネルギーがいることだと感じていて。

 

 

ただ、思考を使うわけではないので精神的な疲れにはならず

 

むしろコトがスムーズに運ぶことを

 

 

今までの潜在意識研究の中で幾度も体験しています。

 

 

何はともあれ、

 

”観る”ことと”思考する”ことの関係性について書きたいと思ってスタートしたこの書き出しは

 

 

どうやら、こういう話で終わるらしいです。

 

 

 

「今、何が最も自然であるか」

 

「今、何が最善であるか」

 

それを”観る”こと。

 

そうすると、すでに存在している答えに出会うことが、あります。

 

 

残念ながらそれは、

 

頭で計算できるほどおとなしいものではなく。

 

 

どちらかというと、

 

毎日、毎瞬、同じ答えなどないくらい変わる。

 

 

今、何を食べることが最も自然なのかを”観る”

 

駅から家に帰るルート、今日はどれが最も自然なのかを”観る”

 

そういう日常的なことから観ていると、

 

 

本当に全く同じ日常なんてないんだな、

 

全く同じ1日なんてないんだな、というが、わかります。

 

 

ただ、ゆだねることと観ることは同じだとすれば、そこには信頼が必要となります。

 

なんてったって、

 

何が観えるかなんて頭で計算できないし

 

何を観る”べき”かなんて、ない。

 

 

その時その時の最善を尽くすこと

 

それは正しさをあらかじめ用意しておいて

 

それに合わせて生きることではなく、

 

今、に身を置き
感じ取り
開いて受け入れて
そしていつもそこにある”答え”を
受け取っていくということ。

 

 

 

わたしはどうやら

 

そういう生き方がとても好きなようです。

 

 

あなたは、どうですか。

LINEで送る

著書一覧

最近チェックしたコンテンツ

BOOKS -著書一覧

もっと見る
秦由佳 Twitter FaceBook LINE@
秦由佳について
Top Page About Works  └ 株式会社 KOKUMI  └ ライフスタイルブランド sophia philein  └ 一般社団法人 潜在数秘術 ®︎ 協会  └ 一般社団法人 潜在意識デザイン協会  └ RYC メソッド ®︎  └ 潜在意識デザイン ®︎  └ 潜在意識メイキング
読む・学ぶ
Blog Journal Books
最新情報を知る
News Mail Magazine
製品
Products
SNSでフォロー
ハタユカラボLine@ 秦由佳Facebook 秦由佳Twitter