深淵なる意識の世界を探求するシリーズ。
過去のブログ記事や、配信したレポート、などから厳選し、加筆・修正してお届けします。新しい読みものも随時更新していきます。

洞察意志とその宿るところ

 

今、中動態というものについて研究している。ものすごく簡単にいえば、中動態とは能動と受動の間にあるものだと捉えてもらうとわかりやすい。

 

これは意識と無意識の話のにもなるため、潜在意識を扱うものとしては非常に重要なキーワードとなる。中動態について考える時、いつも出てくるのが”意志”について、だ。

 

 

例えば、何かについて”書こう”とする時。

 

自分の中に、AとBとCとDという情報あるいは条件が揃った時に、”書こう”という意志が自分の中に宿るものとする。

 

この場合、自分の中にAとBとCだけが揃っていて、Dが足りないとする。

 

そうすると、”書きたい”とは思っていながらも、”まだ書こうという意志は芽生えない”という状態になる。

 

 

私がこのような状態になった時まず、自分のいま揃っている情報について観察する。

 

そして、どのピースが揃えば、”書こう”という意志が自然と生まれるのか?足りないピースを探すのだ。

 

AとBとCが揃っているけれど、Dがまだ自分の中にはないとわかれば、Dを探すまで。その時に、必要な文献を読んだり、言葉を探したりして、足りないピースを見つける。

 

揃った時に、自然と書こうと意志が芽生え、自然な書くという動作が生まれる。この時に、ストレスはない。なぜなら、環境や条件が揃っているからである。

 

 

行動を起こしたいのに起こせない、あるいは変化したいのに変化できない、という状態の時、

 

自分の中から自然と変化を生み出す意志がひょこっと顔を出すための条件がまだ揃っていないのだと、捉えると良い。

 

どのような条件が揃えば自分の中に自然な意志が宿るのか、それは人それぞれ違う。

 

本当にピースが足りない時もあれば、本当はすでに条件が揃っているのに、まだ足りないと勘違いして、必要ないピースを探し続けている場合もある。

 

 

何れにしても、まず自分を観察しなければいけない。そのヒントは常に過去にある。

 

過去を分析すると、自分の中にどのような条件が揃えば、自然な意志が芽生えるのかといった”成功事例”が必ずあるはずだから。

 

そこを見つけることができれば、自分に合わせて、後どんなことを知ればいいのか、どんな情報を手にしたらいいのか、あるいは、どんなことを手放せばいいのか、どんな条件が邪魔なのか、ということも見えてきて手放しやすい。

 

 

重要なポイントは、意志というものは、自然と発動するものであり、根性でどうにか絞り出せるものではない、ということだ。

 

そういうことを知らないと、ただ条件が揃っていないだけなのに、無理やり意志を出そうとしたり、

 

逆に、条件は揃っているのに、増やしすぎて意志が顔を出さないということがわからずに、闇雲に自分を責めたり、してしまう。

 

誰かに何か行動を起こして欲しい者として

 

これは、誰かを教育する場にある人にとっても重要なことだと思う。

 

誰かが行動を起こさない、あるいはなかなか変化をしない、意志を起こさないと見える時、

 

その人にはその人なりの”意志が発動する環境”が必要なのであって、それは自分のものさしでは測れない、と十分に注意して観察することが大切である。

 

そうしないと、自分のやり方を押し付けてしまったり、自分にとってはもう動いていいはずなのに、どうして相手は動かないのだ、と決めつけてあの人には意志がない、と思ってしまう。

 

恋愛関係も、家族関係も、パートナーシップや親子関係もそうである。みんな、意志が発動するために必要な環境や条件は、違うのだ。

 

情報整理のためのインプットとアウトプット

 

私は毎日たくさん書いたり読んだり考えたりしているが、それはすべて自分が求めている”意志の発動”に向けて、条件を整理し環境を整えている行為である。

 

 

自分で意志を持って書こうと思っても書けないことを、何度も痛感しているから

 

例えばテキストの執筆だとか、書籍の執筆だとかもそうである。

 

執筆を実行し、継続するだけの”意志”が、どのようにしたら、どんな環境を作ったら、自分の中に宿るのか、ということをニュートラルになって観察し、インプットが足りないとわかればインプットし、アウトプットによって情報が整理されるならアウトプットする。

 

 

外部の環境が、とわかれば書く場所を変えることもあるが、大体の場合は外部に問題は何もないことが多い。

 

ただ、例えば”メガネがない”という環境においてはやはり、書こうという意志は芽生えにくいし、お腹が空いてどうしようもないときは、やはり環境が整っていないから、まずはそこを満たしていく。

 

 

外部の環境よりも、内部の環境、つまり心的な環境を整えることが非常に重要なのでこれについてはまた別の機会で書こうと思う。

 

 

兎にも角にも、

 

自分は意志が弱いだとか
意志がないから行動に起こせないだとか
意志を出そう出そうとか
なんとかやる気を絞り出そうとするのは

 

ただの理想論であることを知り、それは意識の構造学上、とても理にかなっていないというか・・・無理がある話なのだと思って、さっさと諦めることをお勧めする。

 

 

自分にも他人にも、

 

”意志の能動性”を求めることは大変、非生産的なことであり、

 

自分にも他人にも、

 

”意志の宿る条件”を押し付けることは、逆効果でしかない。

 

そう理解してもらって、自分の今の状態を観察すればいい。

 

 

他者と劣等で比較するのではなく、「へぇ、あの人はあのくらいの条件で意志が宿るのか」とみればいいだけだし、それを参考に、「自分にはどんな条件が揃えば自然な意志が宿るだろう」とチェックするといい。

 

 

大胆な人は、AとBだけ揃えば意志が宿る。
慎重な人は、AとBとCとDが揃えば意志が宿る。

 

それはどんな料理を作りたいのかと同じ。どのくらいの材料を用意すれば、その料理を作ることに取りかかれるのかの違い。決して、人としての価値をそこで測れるものではないのだ。

 

 

”やめられない”のは本当に自分の意志なのか?

 

ダイエットなんてまさにそうだ。

 

年がら年中、ダイエットダイエットといっている人がいる。禁酒でも禁煙でもなんでもいい。

 

世の中には腐るほどのダイエットツールがあり、情報もたくさん無料で探せる時代なのに、どうしてその人たちはダイエットをしないのか。

 

ここではっきりわかってくるのは、ダイエットに対する”意志”が自然と宿るために必要なのは

 

外部の情報ではない、

 

ということである。

 

 

むしろ、”あるものが無い”状態だと、人はどんなに外側から情報を取り入れても、自然な意志が宿ることはない。

 

 

この”あるもの”については後述するが、とにかく外側から情報を取り入れるだけでは人は動かないようになっているのだ。

 

きっとこれは時代の問題だろう、と思う。今の時代だからこそ、情報をどれだけ与えても人は動かない。

 

ではどうしたら人は動くのだろうか。

 

 

あくまでもここでは、動くことや行動が素晴らしい、という視点ではなく

 

動きたいのに動けない、というストレスから解放することを目的にしていると、捉えて先を読み進めて欲しい。(行動しない人はダメだと言いたいわけではない)

 

意志が宿るのに必要な条件とは

 

まず、外側から得られる情報というのは自分の言葉ではなかったり、自分の体験ではなかったりするため

 

意志が宿る条件に、あまり相応しくない場合が多いと考えてみる。

 

 

ダイエットをしたいと思った時に、他者のダイエット体験談を読んだとして、それが自然と、自分の体験と紐づくならまだ良い。

 

りんごダイエットをやってみたけど、ちょっとうまくいったものの継続しなかった人と、

 

りんごダイエットをやったこともない人とでは、りんごダイエットで成功した人の体験談は、違った情報として認識されることになる。

 

 

前者は、自分の過去の体験とうまく紐付けすることができるから、うまく言えば他者の成功談が自分のやる気や意志をサポートする情報になる。

 

しかし、自分の過去と紐づかない場合、それはただの情報でしかない。自分にとってはなんのピンとこない、お荷物でしかなくなる。

 

 

いつ使うかも、どう使うかもわからないようなものが、家に溜まっていくだけである。

 

使い方もわからないような野菜(本人にとってはみたことがない野菜)を買って、”いつか使うだろう”と思って冷蔵庫に入れておく。

 

そして結局、使われることはない。何かと紐付けされない限り、その情報は全く意味を持たないゴミになるのだ。

 

 

実際、私のいるセミナー業界や講座業界、自己啓発業界やスピリチュアル業界ではこのような状態が起きている。

 

成功体験やうまくいく方法といったシェアはすでにはこびっていて、もはやそれだけでは人は動かない時代になっている。

 

発信者もまた、そのようなことを考えていき、どのような情報を発信すればいいだろうかと、内容を工夫しなければいけないのだ。

 

 

だが、他者の成功体験はゴミだとわかっていても、安定感があって信頼できると思われがちである。

 

りんごダイエットをしたことがない人は、りんごダイエットの成功談をもとに、1から10まで全てをなぞってしまう場合がある。

 

そしてどこかでつまづくと、検証をせずにそのままバナナダイエットに移行してしまう。このようなことがずっと続いてしまうため、自分は何も成し遂げられていない人だ、というレッテルを自分に貼ってしまうことも少なくない。

 

 

まずここでちゃんと認識したいのは、自分の自然な意志が宿るために必要な情報の組み合わせは、人の数だけある、ということだ。

 

他者の成功体験は、自分のことを知るための参考材料でしかなく、それが自分の何かと紐づかなければ、意味のない情報になるだけである。

 

 

りんごダイエットの話に戻すが、

 

りんごダイエットをしたことがあるなら、りんごダイエットで成功した人の体験談と、自分の経験を紐付けすることによって、新しい気づきが生まれる。

 

だから自分はうまくいかなかったのか、じゃあ自分はこうすればいいんじゃないだろうか。

 

この気づきが生まれると、行動を起こす意志が自然と湧いてきやすくなる。

 

 

要するに、与えられている情報に対して、あるいは外側から吸収する情報に対して

 

本人が”当事者意識”を持たなければ、条件が揃うことはない、ということなのだ。

 

ヴィジョンがあればサスティナブル?

 

どうして中動態について考えているか、というとやはり人の意志や行動に関わってくるからだ。

 

闇雲に、”行動をしろ”というのは非常に簡単なことだけど、

 

それ以上に、”行動力”が自然と湧いてくるような条件を揃えられるように促すことの方がより効果的だからだ。

 

 

ヴィジョンというのは、自然な行動力や自分の中に宿る”意志”の力、それを継続させていくために必要な項目の一つだと思う。

 

ヴィジョンがなくても行動を起こすことはできるが、ヴィジョンがないとその行動力は持続しない傾向にある。

 

つまり、どこかですぐに息切れしてしまうのだ。

 

 

文章を書くことに例えてみよう。

 

 

なんか書きたいな

 

 

これで意志が宿ることはない。これで書き出したとしても、ほとんどの場合続かないか、途中で書く意味というものを見出せない限り

 

書こうという意志は継続されもしないし、リニューアルされることもない。

 

なんか書きたいな、からこんなことを書きたいな、こんな風に書きたいな、こんな感じの雰囲気で書きたいな、こんな人に読んでもらいたいな、

 

そんなヴィジョンを持つことができたときに、さらなる条件を見つける作業が始まる。

 

 

例えば、

 

 

・どんなテーマで
・どんなことについて
・どんなメッセージを込めて書くのか

 

といった、さらにヴィジョンの具体的なところが見えてくる。

 

そうすると、より一層、書こうという意志が宿る環境が整ってくるのだ。

 

 

どの程度具体的になれば、自然と書こうと意志が宿るのか、それは人それぞれ違うし、どんなヴィジョンなのかによっても変わってくる。

 

今までの人生でやったことないことに取り掛かる時、多くの人は慎重になるため、素材はやや多めになるし今まで何度もやった事があるならば、それほどの条件は必要ない。

 

 

何度も作ったことのある料理なら、そんなに素材がなくてもアレンジできたりするし、塩と砂糖だけでいける、と確信できるから条件が揃うのも早いけれど、

 

今まで一度も作った事がない、あるいは料理そのものに自信がない場合、条件は自ずと増えていく傾向にある。

 

 

自己啓発論に多いのは、この条件を「取っ払ってしまえ!」という提案である。確かに悪くはない。

 

別に失敗してもいいのだから、とりあえず今揃っている条件でスタートを切ってしまいなさい!という考え方である。

 

 

しかし、再三書いているがやはり注意しなければいけないのは、そうだとしても、条件が揃っていないのに無理に動こうとする意志が宿る”条件”が必要という事だ。

 

”条件が揃っていないのに動く”
”腑に落ちていないけれど動く”
”準備できていないけど行動する”

 

そのための”さらなる条件”が必要、だということだ。

 

 

それは時に、身近な人のサポートだったり他者からの応援の声だったり、安心できる居場所だったりと、

 

必ずしも起こそうとしている行動とは関係がない場合もある。

 

 

例えば、太郎さんは自分で起業をするために、

 

AとBとCとDいう条件が必要なタイプだったとする。やった事がない分、やや多めに条件が必要だと思っている。

 

わかりやすく言えば、

 

才能
知識
お金
時間

 

といった具合だ。

 

 

しかし、花子さんは起業をしたことがあるから、実はAとBだけ揃っていればいいんだということを知っている。

 

あるいは、ABCDどれも必要なくて、GとFがあればいい、と花子さんは知っている。

 

A・・・才能
B・・・知識
C・・・お金
D・・・時間

 

は必要なくて、

 

G・・・人との繋がり
F・・・誠実な姿勢

 

といった具合である。

 

 

花子さんからすると、太郎さんは非常に渋っているように見えたり、勇気がないとか意志がないとか、最悪な場合、ダメなやつだと認定してしまいがちになる。

 

この時に、太郎さんと花子さんとの間では、根本的に埋めようがないギャップというのが存在する。

 

 

そらそうである。根本的に埋められない。起業したことがない人は、起業したことがある人と一瞬にして同じ過去を持てるようになることはできない。

 

その違いを受け入れた上で、

 

ABCDという条件を揃えようと必死になっている太郎さんに対して、ABという条件だけで行動を起こすようにしたい場合、太郎さん本人が”足りない”と思っている条件を、花子さんが与えようと工夫することはできる。

 

 

足りないCDを、「足りなくても大丈夫」と伝え、太郎さんが『そうか、ABだけでも大丈夫なんだ』と変わることがあれば、太郎さんは自然な意志を持つことができる。

 

 

しかし、ここで花子さんが

 

「AとBだけでやりなさいよ!」

 

と言って要求してしまえば、それはコントロールや押しつけ、相手に対する権力の行使になる。

 

 

コントロールされて無理に行動を起こした太郎さんは、どんどん自分で自分の条件を探すことをやめる。

 

自分はABCD揃えたいのに、ABでやれ!と言われたからやったのだ。そうなると中動(態)ではなくなってしまい、受動的となる。

 

『だって花子さんが言ったんだから』

 

 

となって、責任転嫁してしまうのだ。

 

責任転嫁のクセは、誰のせい?

 

私はこれが、小さい時から家族間で起きていたのではないかと、思う。

 

自分のタイミングや準備や心の状態、つまり自然な意志が宿る”その前”に、自分より立場の強い人間(両親や大人、先生など)からやりなさい、と言われて

 

準備不足のまま行動を起こしてしまう。

 

 

本来、自分のペースで条件が揃えば、自然と宿題もするし、自然と勉強もするし、自然とやる気になって行動を起こすのに、

 

他者のペースや他者の基準で、スタートを切らなければいけないため、それが習慣化されると、自分の意志が自然と宿ることを知らなくなってしまう。

 

 

あるいは、自分で自分の条件や環境を整えることをしなくなってしまうのだ。

 

 

私は大学卒業して10年くらいたった今、逆に勉強をしたくて大学にもう一度入りたいと思うようになった。

 

無断で不登校し、退学をしようと飛び出したあの時の少女にとって、大学で学ぶ意志が宿るスペースはなかったし、条件も揃っていなかった。

 

その後の10年で体験したことが条件となって揃い、今自然と学ぶ気持ちが宿っている。

 

これはもう、タイミングの問題であるだけだし、大学に在学している最中に、そのタイミングがやってくるという保証はない。

 

 

しかし、世の中は、いつどのタイミングでどんな意志を持たなければならないのか、というような暗黙の常識を持っている。

 

 

私たちはそれに気をつけ、それに逆らっても良いという空気を作ることが大切なのではないかと思う。

 

 

これからの社会の教育の形が変わっているのも、そういう流れなのだと思う。

 

 

抽象度の高い表現で言えばそれは、一人一人のペースやタイミングを尊重するということだし、何かを始めるのに遅すぎることも早すぎることもない、ということでもあると思う。

 

 

中動態、あるいは意志と行動の関係性、というジャンルはとても面白く、考察のしがいがあるテーマだ。

 

少なくとも今私は、それに対する意志が発動している。

 

たとえ、本来執筆しなければならないテーマとずれていようと、本来やらなければいけない仕事と内容がかぶっていないように思えようと、

 

 

今自分の中に自然と宿る意志、が必ずどこかで他の仕事や表現と繋がっているということを感じている。

 

 

それをセレンディピティと呼ぶのだろう。
あるいはシンクロニシティと呼ぶのだろう。

 

 

意志というものについて、意識の構造から理解するということは、自分をある種の囲いから解放するということでもある。

 

その囲いは私たちが小さい頃から無意識に与えられてきた”常識”でもある。

 

 

中動態となれば難しいテーマのように感じるかもしれないが、それは自分をさらに自由にし、さらに身動きを取りやすくするものだと捉えることができたら

 

 

きっと誰にとっても研究しがいのあるテーマなのではないかと、考える。

 

 

 

(Facebookの投稿より一部抜粋)

 

 

 

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