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はじめに

 

今日のテーマは意志について。

 

まず皆さんは、「意志」という言葉から何をイメージしますか?連想しますか?

 

意志を発揮する、意志を持つ・・・これらはどういう意味なのだろう、とまずはちょっと想像してみてください。

 

あなたにとって意志を持つとは、どんな感覚でしょう?

 

 

重い感じ?力つよい感じ?
ぎゅっと締め付けられる、そんな感じの方や
暖かい感じがする、という方もいるでしょう。

 

自分の中でまずは”意志”について、どういう風な解釈を持っているかチェックした上でそれから内容に入っていきたいとおもいます。

 

自分で決めることは不可能!?

 

先に、ある結論から述べたいと思います。

 

意志を持つ≠自分で決める

 

ノットイコールです。

 

もしかしたら、同じであるイメージがあった人のほうが多いのではないでしょうか?

自分で決めることが、意志を持つことだ、となんとなく連想したかもしれません。でも、違うことなんです。

 

意志を持つ、意志を発揮すること、意志を大切にすることと、”自分で決める”は似て非なること。

 

自分で決めれば意志を持てるわけではないし、自分で決めなくても意志は持てます。

 

そもそも、自分で決める、この”自分”ってそもそも、誰?

 

自分で決めようと言うけど、本当にその決断が100%自分でしか構成されていないと、誰が言える?

 

そう、100%自分で決めるってね・・・ほんとうのほんとうは、不可能なの。

 

Σ(・□・;)

 

 

こんな顔になってくれると、嬉しい(笑)

 

どういうことなのか?っていうのを今から解説しますね。さぁ、今日も長いメルマガの始まり始まりです(笑)

 

意志そのものよりも・・・

 

さてさて。

 

自分で決めよう!自分で決めることが大切!他の人の意見じゃなくて自分の意見を大切にして!

 

・・・とあちこちで言われていますよね。

 

もちろん、私も同じようなことを思うし、同じようなことを言うことがあります。決して反対しているわけではありません。

 

でも、その本質が伝わってないと意味ないな、と思うだけです。

 

『自分で決めてね!』と他人に言われたから決めるんだったら、それは自分で決めたことには、ならないよねって、思うわけ。

 

 

もしこの”自分で決めることの大切さ”というのが腑に落ちておらず、逆にこの言葉や定説が自分を苦しめる要素になっているという人がいたら、この記事はしっかり読み込んでほしいです。

 

例えば、

 

・決められない自分を責める
・自分で決めてないことに罪悪感がある
・周りの人に影響されて自分軸がないと感じて落ち込む

 

ということがあるなら、まさにチャンス!

 

ぜひこのタイミングで、意志について考察をし、そういった不調和な感じをクリアにしましょう。

 

 

なぜなら、意志について理解するということは、自分を”決めること”の呪縛から解放することでもあり、そして”決めること”から解放されたときに、”意志を使う能力”は顔を出すから。

 

そう、意志そのものではなく

 

意志を使う能力

 

が重要なキーワードです。これについて解説していきます。

 

自分を定義することはできない!?

 

この考察を進めていく上で、まずどうしても通りたい重要な問い、それは

 

”どこからが自分で、どこからが自分ではないのだろう”

 

という、ある種「自分という存在」に対する問いです。

 

 

自分という存在のルーツを辿っていくとしましょう。あるいは、”自分で決めた”ことのルーツを辿っていきます。どんなに自分で決めたと思っていても、必ずその決断には誰か他の人の影響が含まれています。

 

今わたしは1ヶ月間ニュージーランドにいるという決断をいかにも自分でしたように思っていますが、ルーツをたどればそんなことはない、ってことがすぐに分かります。

 

わたしのこの、1ヶ月間ニュージーランドにいるという決断は、色んな人との色んな関係や、自分以外の他者がものすごく関与しています。

 

そもそも今年前半がめちゃくちゃ忙しくなかったら、きっと来ていないでしょうし。(笑)

 

 

どこからが自分の決断で、どこからが自分の決断じゃないのかなんて、本来は考察することもできませんしその必要もありません。

 

なぜなら、境目がないからです。

 

どんな決断にも、必ず自分以外の要素が関与しています。100%自分だけで決めた、なんてことはあり得ないということ。

 

そして、100%自分で決めようだなんて、そんな呪い、自分にかけなくていいんです。

 

まずはそれが大切な心構え。

 

理由を創造すること

 

その代わり、”理由”というものを創造することを意識するのです。

 

わたしがニュージーランドに来た”最初の理由”それは・・・忙しさから距離をおいてしっかり作品作りをするため、でした。

 

・・・”頭の理由”と、”口の理由”は。

 

細胞レベルでその理由は持っていませんでした。わたしはただ、忙しさから離れて、ゆっくりしたかっただけだということを、こっちに来てからひどく痛感させられます。

 

なぜなら、書くために来たと思っているのに、全く書く気にならないから(笑)細胞レベルの理由は実に素直ですね。

 

最初の一週間はそんな自分と格闘ですよ・・・(笑)正確にいうなら、”罪悪感”との格闘です。頭や口で表面的に持っていた理由が、そもそも本当の理由ではなかったこと・・・。

 

それに対する罪悪感と、そこから無理やり自分を『当初の理由:書くために来た!』に合わせようとする圧力と・・・

 

 

途中でやめました。

 

罪悪感と戦うことも、自分を当初の理由に合わせようとすることも。

 

その代わり、わたしは毎日自分に感覚に素直になって、その時その時、最も集中できる”意志”に身を捧げたのですね。

 

それはつまり、”理由を創造すること”です。

 

なぜ、ここにいるのかという理由を、放ったらかしにするのではなく、そのとき、そのとき、見出す。

 

それは毎日変わっても、いい。

 

そうやって過ごしていると、ニュージーランドに来た理由はひとつじゃなくなって、毎日変わりました。

 

 

ある日は書くために。
ある日はゆっくりするために。
ある日は旅をするために。
ある日は写真を撮るために。
ある日は、ただ日常を過ごすために。

 

 

当初の理由にしがみついていたらきっとわたしは、楽しめなかったでしょう。せっかく来たのに、せっかくの時間なのに、そうやって自分の可能性や未来を狭めていたことでしょう。

 

 

”2度とこんな時間は取れない”なんて、誰も知らないことなのに。今わたしが過ごしている毎日が、”せっかく”なのかどうか、それは決まっていないのに。

 

書かなきゃ!に縛られて、中途半端な気持ちで過ごしていたと思います。

 

意志は火力

 

そんな日々を過ごす中で、意志を持つということは、理由を創造することだと結論が出たのです。そこに敏感になって、必要であればその都度リニューアルしていく。

 

例えば、本を書きたい、ベストセラーを出したいとしましょう。本を書くというのは、行為行動ですよね。ベストセラーにしたい、と。これは求める結果ですね。

 

どんな行為行動・結果も、何かしらの理由を含んでいます。

 

それは、頭で簡単に説明できるような理由ではなく、もっといえば”ヴィジョン”です。エネルギーの塊みたいなもの。情熱とか想いとか理念、信念みたいなものです。

 

どのレベルの”念”なのかによって、その行為行動やもたらされる結果が変わります。

 

本を書く理由は、本を書くという行為行動を突き動かす原動力であり、ベストセラーという結果をもたらす”火力”です。

 

そう、意志はヴィジョンでもあり、意志は火力でもある。

 

炒めものを食べたいと思ったとき、そこに材料全てあったとしても、”火”がなければ結果は生まれません。

 

また、火力は結果にも左右します。強火じゃないと美味しくないもの、弱火じゃないと美味しくないものがありますね。

 

そのときそのとき、理由は様々

 

わたしは、創職ラボラトリーというプロジェクトをする上で、自分が大学生の頃にビジネスを始めてから今に至るまでの8年間を振り返っていました。

 

創職ラボラトリーについてはこちら

 

どういう風に仕事してきたのだろう?これからどうやって仕事をしたいだろう?そうやって振り返っていったときに発見したんです。

 

やっていることはほとんど同じ。メッセージも変わらない。伝えたいことも基本的に同じ。でも、その都度その都度、仕事をする理由は違うってことに。

 

ある時は生活のために。
ある時は承認欲求のために。
ある時は希望のために。
ある時は不安を払拭するために。
ある時は自分の光を共有するために。

綺麗事だけでは成り立っていませんでした。

 

わたしの8年間には、実にたくさんの”意志”がありました。その全てを自分がはっきり自覚していたかと言われれば、そうではありません。

 

「なぜこの仕事をするのか」とはっきりわかった上でやっていたこともあれば、そうではないことも、ありました。

 

端的な結論ですが、「なぜこの仕事をするのか」をほとんど考慮せずに始まった仕事は、その理由がなんであれ、あまりパッとした印象を持ちません。

 

成功したか、失敗したか、関係なく、自分の人生に残った仕事ではないことが多いです。

 

しかし、初めから「なぜこの仕事をするのか」がはっきりしていたことは、失敗したことも成功したこともあったけれど、自分にはっきりと残る仕事です。

 

 

また、最初は理由なんてなかったし、やらなければいけないからやっていたけれど、途中でこれはいかん!と思い直して、自分で再び”理由を創造”した仕事はやはりとても残っています。大切な思い出。

 

いい仕事したな、やりがいがあったな、と感じるわけです。

 

そういった仕事って、最初の理由は恐れとか不安とか、なんだかスピリチュアル業界で嫌なもの扱いされがちな理由がスタートだとしても、途中で切り替えた時や、自分でもう一度理由を持ち直したりすると、結果が変わるんです。

 

たとえ、不安からスタートした案件を、不安だから、を理由にしたままだとしても・・・

 

自分でもう一度”わたしはこれを理由にする”と再決心した場合、そこには意志が宿るってことです。

 

”知らねーよ、不安からスタートだけど、やってやるよ”と。

 

だから、意志を持つということは、理由を創造することなのだ、と考えるのです。納得できるものになるまで、創造をやめない。

 

放ったらかしにせず、鵜呑みにせず、吟味して、そしてどんな理由でもいい、これにする、と決めること。

 

そうすると、そこにはコアな意志が宿るんです。

 

意志の調節と現実の結果

 

意志とは火力のことだ、の例えに話を戻しますね。

 

料理の時、火力を自分でコントロールできるように、本来はわたしたちも自分の意志をコントロールできます。

 

食べたい料理(結果)に合わせて火加減を調整するということは、自分のヴィジョンに合わせて意志を調整するということ。

 

強すぎても、弱すぎても、ダメで。そこは目の前の料理(現実)との”対話”が常に大切だと私は思います。

 

この、”現実との対話”をせずに、闇雲にとにかく「決めろ」だの「意志をもて」だの「やる気を出せ」だの、ちょっと違うと思っていて。

 

その人にはその人の”火加減”があるし、誰もが同じ料理を食べたいわけじゃない。

 

つまりそれって、その人が何に対してどの程度の意志を持つかは、その人の自由であり、他人がどうこういう筋合いはない、ってこと。

 

もっと簡単に言えば、何に熱中するのか、何に熱中しないのか、はその人が決めること。決めていいってこと。

 

 

私たちは誰もが幼い頃は、その真実を既に知っています。

 

自分が何に対して意志を強く持つのか。逆に、何に対して意志を強く持たなくてもいいのか。どこにプライドを持ち、どこは緩まって他者の意見を採用するか。最初はわかっているんです。

 

でも・・・

 

『それは違う』『お前は間違っている』『あなたは何も知らないから私たちのいうことを聞きなさい』『そんなことをやっても無駄だ』

 

こういった抑圧の力を、きっと誰でも体験しているのでしょう。私たちの多くは、幼い頃からこの人生における火加減、つまり“意志を使う能力”というものを奪われたり、抑え込まれたり、してきたのだと私は考えているのです。

(それもまた必要な流れの一部でしょうが。)

 

ただ、これだとあまりにも他者のせいにしすぎていると思うので、表現を変えましょう。

 

私たちは、曲げたのです。折れたのです。一度は誰もが、夢破れているのです。そして、もう一度信じる旅に出ます。

 

自分の純粋な、そしてシンプルで力強い”意志”の宿るところを見つける旅に出るのです。

 

もともと持っている情熱に気づくこと

 

だから、意志を持つか持たないかじゃなくて(やる気を出すか出さないか、決めるか決めないか、情熱を持つか持たないか、じゃなくて)

 

「あなたの奥にもともと備わっている”意志を使う力”が呼び覚まされた時、自然とあなたの情熱は顔を出すでしょう」

 

と私は思うのです。

 

何に情熱を注ぎ、何がヴィジョンとして現れるのかは、良い意味で元の状態に戻ることができた時に、あなたの意志を使う能力は自分ではっきりとわかる。

 

だから、焦る必要はありません。

 

今どんなに自分には意志がないとか意志が弱いとか、情熱がわからないと思っていても、です。

 

それはもともと、備わっている。今から身につけるものじゃない。意志を使う能力は誰もが、持っているのです。

 

そしてあなたがもし、その能力をうまく発揮できていないと今、これを読んで思うなら、明日から少しでもいいので、元々持っている、意志を使う能力を引き出してみませんか。

 

この記事を書いているのは、そのお誘いでもあるのです。あなたの心がもし、その提案に少しでも惹かれるなら、どうぞこの先で解説する意志を使う能力を呼び覚ます方法、に注目してください。

 

見極め力は体験によって

 

余談ですが、私の母国料理、中華は火力強くないと美味しくないんですね。でも、そうじゃない料理もありますよね。

 

何でもかんでも情熱を!というならそれって火力が強くないと美味しく作れない料理が最高(情熱があることだけが最高)っていうことと似ていて、わたしはそうじゃないなーと、考えているんです。

 

意志のあるところと
意志のないところを
履き違えない

 

そして、他の人と自分を比較しない。でも比較しながら自分の意思がもともと宿る場所を見つける。

 

あなたに”意志の使い方”を要求してくる人がいるなら、その人の声を鵜呑みにしなくていい。

 

でも、あなたに”意志の使い方”を思い出させてくれる人の言うことは、耳をすませると良い。

 

 

だから、一概に「人のいうことより自分の気持ち」なんて言いきれません。

 

この絶妙なバランスというのは、理屈とか理論とかでは生まれなくって、”経験”がつくるバランス感覚だと、思います。

 

このバランス感覚そのものが、意志を使う能力でもあるのでしょう。

 

『これに関しては、このくらいの熱量でやると、自分も周りも全てにとっていい』

 

『これに関しては、周りのことを気にせず熱量ガンガンあげて、火力強目でやりたいし、そのほうが全てにとって良い』

 

そんな感じで、自分の意志を扱う能力だというのがわたしの考え。

 

そのためにできることはいろいろありますが、また別の角度からこの”意志を使う能力”について考えると面白いことも見えてきます。

 

人間関係のトラブルにも関係!?

 

生きていると温度差を感じることってありますよね。あの人と自分の温度差。

 

自分はこれを大切にしているのに、何?どうして大切にできないの?

 

これも温度差の問題。

 

どうしてこれが重要ってわからないのー?プンプン!

 

これも温度差の問題。

 

なんでそればっかりやるのかな、意味がわからない・・・

 

これも温度差の問題。

 

人間関係や親子関係って、”どこにその人が意志を強く持つのか”の違いが、問題やトラブルを招いているのです。

 

自分にとってホットなことと相手にとってホットなことが違うと、最初は相手を変えようとしたり自分を変えようとしたり、そうやって自分の火力という名の”意志”を曲げてしまう。(というか、人に合わせてしまう)

 

 

お互いに、

 

『わたしはこれに対して弱火で。その代わりこれに対して強火です』

 

『なるほど、そうなんですね。わたしはこれが強火です。わたしの弱火が、あなたの強火なので、これを担当してくれます?わたしはこれを担当します』

 

みたいに役割分担できればいいんだけど、社会は、みんな同じくらいの意志を求めることがある。そのほうが、管理しやすいですからね。

 

どんな料理もレベル100で作ってください、みたいな。いやいや無理でしょ。笑

 

でも、そんなことなかなか言えない。本当はもっと強火にしたくても言えないし、弱火にしたくても言えない。

 

自分はこの料理が作りたい食べたい!(わたしはこの体験がしたい、こういう人生をつくりたい!)と大きな声で言えなくなってしまうのではないでしょうか。

 

美味いのに潰れるお店、不味いのに生き残るお店

 

ここまで読んでまだちょっと、意志を使う能力と表現されるとよくわからない方は、こうイメージしてみてください。

 

”そんなに情熱・・・はいらないかな”
”ここは適当でいい”
”軽いの、ください”

 

と思うときありませんか?

 

具体例をひとつ、出しましょう。

 

うちの近所って土日空いているお店が少ないんですが、一件だけずっと休まずやっている居酒屋があって。

 

どうみても雑、適当、そして不味そう(笑)なのですが、空いている貴重なお店なので一回だけパートナーと行ったことがあるんですね。

 

結論、まずい(笑)すぐに出ました。

 

でも、驚くほど安い。そして、いつも人がいる。古いお店っぽいので、きっと長い間続いているのだろう。立地はかなりいいから、家賃は高いはず。単価は安いのによく回っている。

 

我が家は食にうるさいので、最初は本当に理解できませんでした。どうしてこんなに不味いのー!って。二人で不味さとお店の騒がしさに爆笑(笑)

 

どうしてこのお店が続いて、あのお店が潰れるのかと。

 

でもよく見渡すと、来ているお客さんたちはほとんど飲んでいるだけ。食べ物を残すことも多く・・・という感じです。いい意味で、適当でいられる。緊張感はなく、圧力もなく、何の負荷もかからない。気軽といえば気軽なんです。

 

良いものを出しているのに潰れるお店。適当で雑なのに残るお店(続くお店)。どこにでもありますよね。

 

非情な結論ですが、潰れるということは必要とされていないということ。

 

どんなに個人の価値観的に「やばいだろ」と思えるお店でも、残っている続いている、なんだかんだ選ばれているということは、必要とされているってこと。

 

この事実がとってもとっても大切だといつも思います。

 

ある意味では酷な話ですが、何か結果を出すときに重要なのは、その結果(ヴィジョン)にはどのくらいの意志が重要なのか?を見極めることであって、

 

意志が強けりゃいいってことでもないし、時と場合によってはそんなに意志はいらないから、サクッとやってくださいな、みたいなこともあります。

 

この”見極める力”、それも意志を使う能力なのではないかと。なんでもかんでも情熱とかやる気とか、いらないんです。

 

 

常に全てにおいて全力100%じゃなくてよくて、

 

これにはしっかりと意志を持って、情熱とかエネルギーを”ぶっこんで”、逆にこれは、ほどほどの熱量で取り組もう(気持ちをリラックスさせて、ほどほどに楽しもう)

 

そうやって自分で切り替えられることが、特に大人になってからは大事なんじゃないかとだと思うわけです。

 

 

自分の意志が顔を出さない、あるいは自分の情熱がどこに向いているのかわからないときほど、このメリハリができておらず、どこかで自分のやることに対して、全部

 

・一生懸命にならないといけない
・完璧にこなさないといけない
・せっかくやるからには
・損してはいけない
・手を抜いてはいけない

 

と無意識に思っているのでしょう。

 

火加減を間違えているのです。結果的に美味しい料理ができない。全部、強火すぎるから。

 

逆の人もいます。全部、弱火・・・(笑)

 

・何かをやろうとする度に、火力がすぐ弱くなる
・いいじゃん、やっても意味ないよってすぐになる
・どうせ、だって、まぁいいっかと全てに対してなる
・熱くなるのとかカッコ悪い

 

そんなケースも、あるようです。

 

わたしは前者のタイプだな。あなたはどちらタイプですか?

 

すでに意志は全てに宿っているが

 

では、ここからはまとめをしながら、オチに向かっていきたいと思います。

 

まず、意志は誰にでもあります。どんな人にも意志はありますし、行為行動には必ず意志があります。

 

結果は、何かしらの行動によって生まれているので、どんな結果(つまり、現実)にも必ず意志は宿っています。

 

しかし、意志の種類が違います。

 

「やる気がない」のではなく「それにはやる気を出さない」という意志があるだけです。「行動できない」のではなく「行動しない」という種類の意志が働いているからです。

 

意志の種類が変われば、行為行動は変わります。そして、結果も変わります。

 

でも、自分にとって違和感のある自分自身の行為行動や結果(現実)に反映されている意志は、過去の習慣や、無意識のうちに勝手に生まれていることが、ほとんどで。

 

毎日ほんとうはちがう日常、ちがう天気、ちがう気分なのに、今日もこの服着るでしょう?って勝手にクローゼットから服が出てくる感じ・・・

 

それに対して敏感になって、自動化されたプログラムに従うのではなく、『わたしは、この服にする』と決めるように、『わたしは、これを理由にこの行為行動を起こします』と決める。

 

それが意志を使う能力です。

 

つまり、意志は誰にでもあるのだけど、使う能力が発揮できているかどうか、だという考えです。

 

意志を使う能力の復活

 

そして、意志を使う能力、それは様々な理由で抑圧されていることが多いので、復活させることが大切です。

 

どうやって復活させることができるか、といえばまずは、観察をすることです。

 

自分が起こそうとしている行為行動、起こした行為行動の奥にある”理由”に意識を向けてみます。

 

その時に、どんな理由であれ、まずは全肯定してあげてください。いちいちジャッジしていたらキリがありません。

 

不安からだろうと恐れからだろうと嫉妬からだろうと妬みや恨みからだろうと。いちいちジャッジして自分を評価する暇などない、くらいのレベルで。

 

正しい理由を持つことが重要なのではなく、あなた自身が納得できる理由を創造することが大切なのです。

 

 

不安から何か行動をしたなら、それに気づいた時に落ち込むことがあるでしょう。

 

恐れや、いたずらな心、不誠実さから生まれた行為行動に対して、罪悪感や自己嫌悪感を感じることもあると思います。

 

しかし、そこに浸りきるのではなく、それらは何も生まないことを知ってください。なぜなら、それらは未来に対してなんの希望ももたらしてくれないからです。

 

それらはただただ、自分の罪人にしておきたいだけなのです。その方が安心だと思っている奴が私たちの中には住み着いているのですから。

 

奴らはこう言います。

 

意志の力など使うな、と。その力はあなたを不幸にする。あの時のようにね、と。

 

なんでもいいんだ、あなたが納得するなら

 

自分の行為行動を振り返って、少しの間後悔したり、罪悪感や自己嫌悪感に浸ったりしても、そのあとは「いつでもここから理由を創造し直せる」ということを自覚してください。

 

どんな失敗だと思われる行動も、あなたが今から意志を使うことで、過去行ったことも含めて未来、全てが変わります。

 

だから、あなたはあなたの意志をつかって、今からなんでも変えることができます。

 

遅すぎることはありません。その瞬間から変えることができますし、それが最もベストタイミングであることを潜在意識の深いところでは知っています。

 

罪悪感の中にいる時間が長すぎると思ったら、一呼吸おいて離れてみることです。

 

そのあと、”理由はなんでもいい。自分が納得できたなら、不安や恐れや不足意識、嫉妬や不信感からでも行為行動を起こしてもいい”ということをしっかりと意識してください。

 

大事なのは、あなたがそれに納得しているかどうか、です。納得してスタートすることであなたはそこに責任を持つことができます。

 

 

納得していないなら、納得できるまで自分のために考えるのです。どんな理由からなら納得できるだろう、って。

 

例えば、「不安から行動してもいい。今はそれが自分のあるがままだから、それによってどんなことが起きても自分は受け入れられる」としてみる。

 

または

 

「恐れからこの仕事を始めてしまった。今さらどうすることもできない。でもこれからは、この仕事をする理由を、恐れているからだとしよう。恐れることの何がいけないだろう。わたしは恐れているのだから」

 

でもいいし、

 

「恐れからではなく、これをいいチャンスに変えてみよう。これからはこの仕事をする理由を、成長するために変えてみよう」

 

でもいいのです。

 

なんでもいいんです。本当になんでもいいということが、潜在意識をずっと研究してきて分かった答えなのです。

 

あなたが何を信じることにするか、それはあなたが何を理由にするかによって創られるから、

 

自信持っていいよ。堂々としていてください。

 

自分の創った理由に対して胸を張ってください。人の理由を採用しているならそれをやめて、同じ理由でもいいから自分で納得するものを創ってください。

 

誰かの成功談を聞くときも、何をやったからどうなったか、ではなくその奥にある理由を探ってみてください。

どんな原動力であったのかを知り、その原動力に対してその人がどういう風に向き合ったのかを、よく観ることで気づくことがたくさんあります。

 

ある人は悔しさから。
ある人は恨みを力に変えて。
ある人は希望から。
ある人は感謝から。

 

あなたは、どんな理由から未来をつくる?

 

終わりに

 

うまくできなくたっていいし、例えばここに書いたことがよく理解できなくたっていい。理由なんて毎日変わってもいい。

 

 

わたしと同じ頭になる必要なんてないのだから、あなた自身で必要なところをドンドン受け取ってくれたらいいと思っています。

 

そして・・・

 

いかなる行為行動に対しても、自分の納得できる理由を見出そうとする姿勢・・・その姿勢そのものが、うまくできているかどうかとか、正しいやり方で意志を使えているかどうかよりも、意識したいことです。

 

正確にいえば、意志を使う能力は決意によってではなく、”姿勢”によって生まれます。

 

姿勢、はことばや思考よりも潜在意識にダイレクトに伝わります。他者にも伝わりますよね?ことば以上に。

 

どんなにいいことを言っていても、姿勢や態度、接し方にメッセージが宿る。だから、「理解しよう」と努力するのではなく、まずは自分で理由を創ってみようという試みから始める。

 

子どもが何かに挑戦する姿を見て感動するのは、その出来具合ではなく、”姿勢”に感動するのです。大人でも同じはず。スポーツ観戦などで感動するのも、結果だけではありません。その姿勢です。

 

意志を使う能力の出来不出来ではなく、あなたがそれを使うと決めたときから上手にいかなくたって、ちゃんと見てます(かみさまがきっと。うん)

 

そして、意外と誰かが見てくれていたり、するんです。

 

そんな姿をみたら感動するように、だれかもあなたが意志を使おうとする姿勢をみて感動する。あなたのその姿勢から生まれた行為行動、そして結果は・・・感動を生む。

 

わたしは、そう思っています。

 

 

人にはその人の宿命というものがあると、わたしは考えています。それは変えることができません。生まれたときからすでに決めて来たこと、知っていること、わたしはコアや世界観や自分の本質、といった表現をします。生まれてきた意味、のようなもの。

 

しかし、生きる意味というのは用意されていません。それは自分が後から見出していくもので、それは自分がその都度創るものだからです。

 

変えられない宿命、それに対してあなたがどんな意志を持つかによって運命は変えられる

 

わたしは講座などでそう、伝えています。

 

 

だから、あなたもわたしも、今からでも、いつからでも、理由を創り出すことができる。意志を使う能力が、あなたの中から開くことで、宿命と合わさって運命が変わります。

 

たとえば、天気が雨は宿命。その宿命の中でどんな体験やどんな現実を過ごすかは運命。

 

 

意志を使う能力によって運命は、いつでも変えられる。

 

 

そんなメッセージを残して、この記事は終わりたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

2018年11月26日 秦由佳

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